メイジュタナゴコロニアリ。

日常で感じたことや、学びを少しでも共有できたらうれしいです。

年度最後の日

3月も今日でおわり。

 

これから新しい環境に身を置き,新しい生活をはじめられる方も多いことでしょう。

かくいう私も,明日から新しい会社に勤めることになっています。

前の住居の退去日と,電気の引っ越しの日時を間違えてしまったため,

連絡するのも面倒なので,昨日は電気なしで過ごしました。

キャンプ道具が役に立った。。

 

さて,私におかれましては次の職場が3社目。

今の時代,転職は一般的なので30代前半としてはわりと普通の回数だと

思っているのですが,どうなんでしょう。

うちの親は「大手企業・公務員絶対主義」みたいな人間で

転職なんて不安定なことはありえない,という考えのかたまりでしたので,はじめの転職ですら相当揉めました^^;

(親は自治体職員でした)

最近はちょっと身体の具合がよろしくないようで,そこまで言ってくることはなくなりましたが。

 

私はこどもの頃,親と「将来なにがしたい?」とか「どういう大学に行きたい?」とか

そんな話をした記憶がありません。

私の親は「放任主義」で,大学も「国立ならよし」程度のものでした。

 

ところが一変,就職,転職の話になるとひたすら干渉するようになってきました。

私としては,今まで自分の道は自分で決めてきたのに,なぜいまさら?という気持ちで

はじめこそ激情に身を任せ,かなり反発をしたものです。

しかし,自分も転職をしていろんな社会を見て,知って,不安定な生活も経験して

なんとなく親の気持ちがわかりました。

 

おそらく「あいつ(私のこと)は何をしたいのかがわからんから心配」なんだろうと思います。

 

でもそれは,大手企業だとか公務員だとか,フリーランスだとか,転職だとかそういうのは関係ないです。ただのコミュニケーション不足です。

今までコミュニケーションが足りてなかったから,相手のことがわからなくて,今更になって心配になっているだけの話。

 

じゃあ親が悪いのかと言われれば,私はそうではないと思います。

コミュニケーションを取れなかった私にも非はあるのだと思います。

だって,コミュニケーションって基本ふたり以上でするものだから,

「どちらか一方が悪い」とはならないと思うんです。

 

「コミュ力」という言葉が一般的になってきて,「あいつはコミュ力が足りてない」とかそういうことを聞く場面も増えてきました。

でもその言葉って「コミュニケーションが成立しないのを,相手のせいにしている」ともとれる。「自分はコミュ力が足りていることが前提」での言葉。

じゃ,何をもってコミュ力が足りていると判断しているのでしょう。

真にコミュ力が足りている人間なら,多少相手に難があったとしても,自分のコミュ力でカバーできるのではないでしょうか。

それができない以上,コミュ力が足りてるとは言えない。

「確かに相手も足りてないけど,それをカバーできない自分もそれほどでもない」ってところかと思います。

 

話がだいぶ逸れました。

結局のところ,親も私もコミュニケーションがヘタクソで,

お互い自分のことを話してこなかったから,こじれているだけ。

人間,大人になっていけばいくほど,社会経験を積むことによる自分の軸ができます。

30数年かけて作り上げてきた軸を,否定されればそりゃあ温厚な私とて反発もします。

 

だから中高生のお子様を抱えているお父様,お母様にはぜひお子様と将来のことについてちょっと話してみるといいんでないかと思うわけです。

別に腹を割って話す必要はないんです。

「どんな学部いくのー?」とか「いまどんなことしてるのー?」とかはじめはその程度でいいと思います。

学校では,「その学部がどんなことを学ぶことができて…」とかは教えてくれない(と思う)ので,やっぱりそこは親もしっかり調べて教えてあげるべきでしょう。

 

それか,おとなになってからもずっと終始一貫して「放任主義」を貫くかですね。

 

 

なんか説教くさくなっていけないね今回は。。言える立場でもないのに

片付けなきゃ